自分の自著の本にも記載した内容ですが私は3つの業界で営業マンをしてきました。
一番最初は印刷会社でした。
当時は就職氷河期の真っ只中でしたが、遊び呆けている大学生の生活に慣れきってしまっていた私は金融がもう募集を終えている大学4年の5月くらいまで何もしなかったのですよね。
それまでは順風満帆で、大事なところでは気を引き締めたりしていたのですが、4年間のほぼ毎日が夏休みという怠惰な大学生の暮らしにどっぷりと浸かっておりましたので、危機感を取り戻すことができませんでした。
何も考えずに採用された会社に入社したということなのですが、今考えても何も考えないにも程があると思わされます。
今ではテレビCMで広告を打つ会社を営業しに行く時代です。
私が子供の頃はテレビCMの枠が欲しくて、スポンサーからひっきりなしに電話があるため、テレビ局には営業マンがいないとすら聞いておりました。
広告もグーグルアドセンスによるネットや携帯画面やyoutubeといった広告がメインとなり、アメリカのニューヨークタイムズの言葉を借りれば20年後にニュースペーパー(新聞)が存在していたら奇跡だと言われている時代です。
にもかかわらず、紙に印刷する仕事をしていて他社との技術の差もない印刷会社に入社してしまったのです。
当時社員150名くらいに対して年間の売り上げが12億円くらいだったかと思います。
1人頭の売り上げが一千万円を下回っています。
利益ではなく売り上げなので、当然利益はその半分以下です。
そうしますと社員一人頭の年間の利益は当然600万円未満です。
印刷の場合印刷機のローン、刷る紙の価格が売価の50%、インク代、電気代、社屋などのコストを考えますと多分1人頭の粗利益は300万円もいっていなかったのではないでしょうか。
となれば社員の給料は自ずと年収300万円以下にせざるを得ません。
毎日朝6時に家を出て23時過ぎに帰ってくる生活を3年間続けました。
それで手取りはずっと18万円くらいだったと思います。
これを40年続けるのかと思った瞬間、私には無理でした。
生きていけない。
現実に結果を突き付けられて、ようやく自分の怠惰がもたらせた危機的状況に気づいたのです。
私はひとまず、逃げるように印刷会社を辞めました。
そこから1年、浪人も留年もしなかった私はもう1年くらいモラトリアムが欲しいと思い、スロットのプロになりました。
当時は知識さえあれば勝てる状況だったので、学生時代以来楽しいと思える一年を過ごしました。
そして、どうせなら好きな事を仕事にと思いパチンコメーカーに就職します。
ジャスダックとは言え上場していた会社だったので、印刷会社とは待遇に雲泥の差がありました。
これもいろいろなところで書いている記事ですが、漫画キングダムの「秦」の話に出てくる始皇帝の左腕と言われる「李斯の便所のねずみ」の話と同じです。
その李斯のエピソードの大元は最初の歴史書を書いたと言われる司馬遷の史記の中の話で、横山光輝が漫画で描いていて読んだことある人も多いと思います。
李斯は優秀だったのですが、最後は秦の最大の悪臣と言われている趙高に罠に嵌められて処刑されてしまいます。
この李斯のエピソードに便所のねずみという話があります。
楚の人、李斯は、便所にいるネズミが人の汚物を食らい、人や犬におびえて暮らす一方、米倉のネズミはたらふく米を食べ人や犬にも怯えなかったのを見て、便所にいるネズミも米倉にいるネズミも同じネズミなのに、いる場所によってこうも違うと人生の奥義を悟り、「人の価値はその居場所で決まる」として己れのあるべき居場所を探し求め、ついに始皇帝の治める大秦帝国の宰相にまでのぼりつめた
こういうエピソードです。
同じ人間でもどこにいるかで全然違うと言う事です。
私という人間も印刷会社からパチンコメーカーに変わっただけで待遇がかなり良くなりました。
年収も私自身は何も変わっていないのに100万円以上上がったと思います。
そこで13年間営業マンをやっていました。
ところが、やはりパチンコ業界というのは1つの案件に何十億円というお金が動くので、大きなお金が動くところには優秀な人が多いのです。
他社メーカーの看板営業マンは目が覚めるほど優秀で、まともに営業マンとして競合すると敵わない人がたくさんいました。
しかし、安倍政権下で北朝鮮によるミサイル威嚇の財源を潰そうとパチンコ業界に規制ラッシュがはいります。
国民がお金を借りてパチンコ屋にそれを費やし、その利益が北朝鮮に渡っている事を安倍政権は止めようとしたのですよね。
そのため、パチンコに多くの規制をかけてパチンコはやれば負けるのだと国民に結果による教育を施すようになりました。
そして、パチンコ人口が激減し、かつては30兆円産業と呼ばれていたのに今では14兆円位になったと言われております。
と同時にパチンコ業界の社員としては厳しい局面を迎えることになりました。
パチンコ屋さんにお客さんが来ないため、パチンコ屋さんも潰れていきますし、パチンコ屋さんに物を売っている営業達も物が売れなくて追い詰められ始めます。
私も進退を考えなければならない状況に陥りました。
丁度その前の年に、パチンコメーカーにいた運が良いと思っていた後輩二人が立て続けにパチンコメーカーを退職したのです。
私は結果を起点に物事を考えるようにしており、結果的に運が良いと思った二人がその会社からいなくなったのです。
運がこの会社から逃げていっていると私は感じました。
そして、この運が良いと思った後輩二人が歯科業界に転職したのです。
一人はGCさんでレントゲンのメンテナンスを今もやっており、もう一人は岡山OEMでレセコンの開発みたいな仕事に行ったと聞きました。
それを見て、私は結果的に運が良い二人が選択した行動が間違っているはずがないと思い、私も後を追って歯科業界にやってきました。
そして運の良さという要素は間違っていないと再認識させられました。
印刷業界や凋落したパチンコメーカーに比べると、業界がニッチのため大手メーカーは参入する事もなく、パチンコ業界と違い、国が潰そうとせず支えようとしてくれているのです。
物凄く良い業界だなと悪い業界を体験していると感じます。
売上も1医院につき1億円もかかるわけではないので、大きなお金が動くところにくる歯が立たないような強力なライバル営業マンもいません。
私は結果的に運が良い二人の後輩社員が選択した業界の後を追って、歯科業界に転職してきました。
そしてそれは間違っていないと転職して6年目になる今も思うのです。
転職するにあたってはランニングのインカムがある会社にしようとずっと決めていました。
といいますのも、パチンコ業界が苦しくなった時もそうですが、月々の月額が発生しない商品を売っていると、売り上げが上がらなければ収入がないので、役職の上の社員からの圧力も物凄く高まっていきますし、安定した収入がないため、ノルマもきつくなりますし、どうしようもない状態もそれですまなくなります。
そして倒産したメーカーも多々ありました。
ところが、パチンコのサンドメーカーのように1台当たりいくらという月額の金額を取っている会社は厳しい状態でも安定した収入があるため、社員へのあたりはそれほど強くなく、且つ倒産とは無縁でいれました。
そのことから次の会社は、ユーザーが多ければ多いほど安定したランニング収益がある会社にしようと思っておりました。
歯科業界のメーカーはレントゲンも予約ソフトも画像管理ソフトもレセコンも保守料があるため、パチンコ業界の時のように単発で売り続けないと倒産すると言う会社が少ないように見えます。
また、売り切りの商品を売り続けるのは「水を汲みに行く仕事」です。
よくネットワークビジネスの殺し文句でも使われますが、水を汲みに行く話と水を引きに行く話はご存知でしょうか。
大元は石田健氏のザクザク稼げるメールマガジンという本の内容でした。
それはお金を水に例えた話です。
お金は必要ですよね
じゃあ、毎日飲料水(お金)が必要だとして、サラリーマンとして会社勤めをするのは必要な水を毎日汲みに行く行為です。
水を飲むためには毎日水飲み場(会社)に行かなければなりません。
でも、逆に結果が反復する仕事。
例えば特許でもいいですが、使われれば使われるほど、毎回飲料水(お金)が「ちゃりんちゃりん」と入ってくるビジネス
これは水飲み場から水を引いてくる仕事ですよね。
一度水を引くと言う仕事をすると、結果(飲料水)が何度でも手に入り、わざわざ水を汲みに行く必要がなくなります。
結果が何度も反復すると言う言い方をしていたと思います。
ランニング収益はこの水を引いてくる仕事でして、警備会社のアルソックが人の入れ替わりが激しいと言われておりますが、ビジネスモデルがこのランニング収益を稼ぐモデルで成長してきました。
昔、流行った「金持ち父さん、貧乏父さん」にも記載してありましたが、お金持ちになるためには自分の代わりに自分の持ち物に働いてもらう必要があると説いていました。
自分の持ち物に自分の代わりに働かせると言うのは株式投資などで、何もしなくても水(お金)が引かれる状態を作り出す事です。
なので経営的にはランニング収益があると言うのは物凄く安定になります。
そういった事も踏まえて私は歯科業界に転職してきました。
今はもう違う業界に行くことは一切考えておりません。
会社員としてはあと20年弱しか時間がないため、60歳以降も歯科業界で仕事ができる環境を作る事に今は力を入れております。
コメント